■恋したくなるお題 03. 保障のない約束 (九龍×夷澤) 水天宮拓仄

 昼休みを使って少しでも雑用を済まそうと、生徒会副会長補佐という名の雑用係である夷澤凍也は、
生徒会室に向かって足早に歩いていた。
 3年C組の前を通りかかる時、つい気になって扉から顔を覗かした。
「トーヤ!どこ行くんだ?」
 クラブ活動で一緒の先輩である葉佩九龍が、廊下にいる凍也に声をかけながら手招きする。
「悪いっすけど、今忙しいんで!」
 そう言うと生徒会室の方へ向けて足を運びながら、背後の様子をチラリと見ると、
案の定自分の後を追ってくる九龍の姿に思わず口元が緩む。
「トーヤ!そんなに慌ててどこ行くんだよ?昼休みだぜ、遊ぼうぜ?なぁ」
 背後から両腕を凍也の首に回しながら、半ば引きずられるような格好で
九龍は相変わらずのわがままを主張する。
「生徒会の雑用があるんすよ!センパイも一緒にやってくれるんすか?」
 ズンズンと廊下を歩き、周囲の生徒達から奇異の視線を浴びる事なんておかまいなしで、
自分よりずいぶん大きな人間を引きずりながら生徒会室に向かう。
 凍也は意地悪く笑いながら首に絡みつく九龍を振り返った。
「うん、トーヤと一緒に居られるなら、なんでもいいや」
「え、マジっすか?センパイが手伝ってくれるなんて、意外っすね」
 予想していなかった答えに凍也は目を丸くして、たどり着いた生徒会室の
ドアノブを掴んで開けながら、嬉しそうに笑う。
「あ、ちなみに、俺の労働力高いから、覚悟しとけよ?」
 凍也に続いて生徒会室に入ってきた九龍がニヤリと笑みを浮かべ、後ろ手にドアを閉めると、
さらに鍵まで閉めてしまった。
「ちょっ!金とるんですか!しかも、何で鍵かけてんすか!」
「いや、念のため?」
 小首をかしげて左手の人差し指を立てて顎に添え、できるだけ可愛く見えるようにしてみる九龍だが、
身長180センチ、しかも相手が10センチ以上も低いのであっては…
「気持ち悪いからやめてください!ったく、もうっ!さっさっ片付けますから、
センパイは床にモップをかけてください!」
 テキパキと仕事の分担をして、九龍にモップを投げるように預けた夷澤はバケツに水入れ、
雑巾を絞ると窓を拭き始めた。
 窓に洗剤を拭きかけ、適度に時間をおいて磨き上げていく凍也の腕前は、相当の物だ。
 スピードがあるのに仕事が丁寧で、みるみる生徒会室の窓ガラスはピカピカになっていく。
「おー!トーヤ、みるみる綺麗になってくな〜」
 暢気な声を出した九龍の様子を見ようと、振り返ると一瞬で凍也の眉が真ん中に寄り、大きな声が響いた。
「何寛いでんすか、あんたは!手伝うって言ったんだから、しっかり働いてくださいよっ」
 雑巾を握り絞めながら九龍を睨みつける。
 九龍はソファに腰かけ、背もたれに体を預けながら、凍也がガラスを磨く姿を見つめていただけなのである。
「俺の労働力は高いって言っただろ?仕事は報酬無しじゃやらねーからな。トレジャー・ハンターの規則だ」
 にかっと笑いながらモップを両足の間に挟んで、棒を揺らしたりつま先に乗せてバランスを取ってみたり、
どう見ても遊んでいる九龍に殺意でも感じさせるような視線を浴びせる。
「…手伝いって、普通ボランティアっすよね?」
「じゃあ、駄賃って言えばいいか?手伝う駄賃は?」
「あんたねぇ…子供じゃないんだから、自分が言った事くらい責任持ってくださいよ」
 握りしめていた雑巾をバケツにつっこんで、ジャブジャブとすすぎながら九龍をなんとか動かそうと試みるが、
どうやら無駄な努力のように思えてきた。
 こうやって無駄口叩いている時間がもったいないと感じて、
口も動かすが手も動かすことにした凍也は、半ば九龍からの手伝いは諦める事にした。
「それに、さっきセンパイは“一緒に居れるならなんでもいい”って言いましたよね?」
 絞った雑巾で今度は棚の上を拭きつつ、九龍を冷ややかな視線で見つめてみたが、
どうも効果が薄いように感じる。
 普通の生徒相手なら、それだけで凍死させられそうな視線にも関わらず、九龍は平然としていた。
「ああ、あれね。“トーヤと一緒なら、どこで何してもいいよな”って意味」
「わけのわかんない略し方しないでくださよ!センパイしか理解できない言葉じゃないっすか」
 呆れて溜め息をつきながら、棚の上を効率的に拭き終わり、
九龍が遊んでいたモップを取り上げると、さっさっと生徒会室の床を磨きはじめる。
 もう手伝わせようとも思わなかった。
「もう、いいっすよ…そこで大人しくしててください。オレがやった方が早いっすから。
それに、やっぱ自分以外がやった掃除ってどうも甘くて、どうせ後でやり直す事になるんで」
 ソファの近くやテーブルの下をモップでせっせと磨き上げる凍也をまじまじと見つめ、
ソファに胡坐を書きながら九龍はニコニコと笑うと、とんでもない事を言う。
「トーヤさ、いい嫁さんになるな。掃除うまいし、料理うまいし、可愛いし…それに床上手だし?」
「なっ!な…な…何言ってんすか!だ・れ・が・嫁だぁ!」
 持っていたモップを振り上げて、九龍めがけて振り下ろすが
それは見事な“モップ白刃取り”によって阻止された。
 だが、モップについていた水分まで考えていなかったのか、九龍の顔に無数の水滴がピピっとかかる。
「ぺっ!ぺっぺっ!うわっきたねぇ!何すんだよトーヤ」
「あんたが変な事言うからだろーが!自業自得だ!」
 そう言いながらもポケットからハンドタオルを差し出す凍也は、
怒りを露にしながらも顔は真っ赤になっている。
「お、サンキュー。やっぱ、お前いい嫁さんなれるわ」
 ハンドタオルを受け取って、顔についた水滴をふき取りながら目の前に立つ凍也を見上げ、
にや〜っと意地に悪い笑みを浮かべた。
「“嫁”は否定するのに、“床上手”は否定しないんだな?」
「…!!な…な…なんで、あんたって人は……っ」
 顔どころか、見える肌すべてを真っ赤に染め上げて、凍也はぷるぷると小刻みに震えながら、
モップをもう一度振り上げようとした所を、今度は九龍の手によって制止される。
「おっと、もうモップは勘弁してよ」
 モップを両手で握る凍也の手を、九龍も両手で包むように握り、
きゅっと力を込めてソファに座りながら、まだ真っ赤に染まったままの凍也を見上げた。
 その見上げた眼差しが、さっきまでふざけていた雰囲気が嘘のような表情に、
凍也はドキリと鼓動が止まるような感覚を覚えた。
 普段、見上げてばかりの九龍から見上げられている事も手伝って、
いつもと違う九龍に心臓がざわめく。
「センパイ?手、離してください…まだ、終わってないんで」
「凍也。俺の嫁さんにならない?」
 真顔で葉佩九龍はこう言ったのだ。
「…は?」
 一瞬、自分が何を言われたのか認識できずに、凍也は間の抜けた声をあげ、表情も凍りついた。
「いや、俺の嫁になれって話なんだけど?どう、悪くないだろ?
一流トレジャー・ハンターの嫁なんて、そうそうなれるもんじゃねーし。何より、金に困らない!」
 そう力説する九龍はぐいっとモップごと凍也を引き寄せる。
 モップを間に挟んで九龍に抱きしめられた凍也はどう答えたら良いのか困惑していた。
 同姓の自分に向かって嫁ってどういう事だろう?いつもの冗談だろうか?
 それとも“嫁”という意味は、九龍にとっては違う意味なのかもしれない。
「えーと、センパイ?“嫁”って意味わかって言ってます?オレ、男なんすけど」
「じゃあ、婿でもいいぞ?」
「いや、そーゆう問題じゃなくて!」
 あまりにも衝撃的な発言を受けたせいか、今の自分が九龍の胸の中にいることすら忘れているようだ。
 いつもなら校内で触れようものなら、風紀が乱れるだの、人に見られたら困るだのと、
怒鳴りちらす凍也が「大人しく自分の胸に抱きしめられている」事に九龍は満足そうに笑みを浮かべている。
「男同士で婿も嫁もないでしょう!それに…」
 ふと寂しそうな瞳で言葉を続けようとした凍也の耳に、昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴り響いた。
「ああっ!も、もう昼休み終わっちまうじゃないっすか!センパイのせいで、全然進まなかったっすよ!」
 チャイムが鳴ったおかげで我に返った凍也は、自分がおかれた状況を理解し、慌てて九龍の胸から脱出した。
 まだ顔を赤くしながら目が合わないように顔を背けてまくし立てる。
「さっさと出てくださいよ!最後に鍵かけなくちゃなんで!」
 掃除用具を入れているロッカーにバタバタと道具を片付け、ソファにまだ座っている九龍をせかしながら、
凍也は自分の心臓が慌てている以外の理由で高鳴っている事を自覚した。
 さっき、自分は何を言いそうになった?
 弱気な事を言うところだった。
 言っても仕方ない事だし、仮に言ったことによって九龍の結論が変わったとしても、
それは自分が好きな九龍ではなくなってしまう気がした。
「なあ、トーヤ。さっき、何言おうとしたんだ?」
 ようやくソファから立ち上がった九龍は、両腕を天井に向かって伸ばし、
バタバタとせわしくなく動き回る凍也の姿を視線だけで追う。
「な…なんでも無いっすよ」
「いや、だって。“それに…”って言っただろ」
 この勢いで言いかけた事を取り消そうとしていたのに、九龍はそこを突いてくる人間なのだ。
 誤魔化しても、強引に白状させられる事は今までの経験上わかりきっている。
 一瞬の間をあけたが、結局ボソボソと言葉を途切れ途切れに口に出した。
「“それに…”あんたは誰にでも、同じ事言うんでしょ?気に入った人間全員…女でも男でも」
 先に廊下へ出た九龍に背を向けて、錠に鍵を差し込もうとするが、
動揺しているせいでうまく鍵穴に入らない。
 ますます凍也は焦りを募らせる。
 カチャカチャと金属同士が擦れる音を聞きながら、今度は午後の授業が始まった事を
告げるチャイムが人気の無くなった廊下に鳴り響いた。
「お前にしか言ってねーよ」
 少しふてくされたような声を出すと、後ろから手を伸ばしてきた九龍が凍也の指から鍵を奪い、
すっと鍵穴に差込んで鍵がかかる方向へカチャリと捻る。
「今はそうでも。これから、わからないでしょ…ここから出ていった後とかに…だから、」
 差し出された鍵を九龍の手の平でぐっと握りしめて、言葉を詰まらせた。
 九龍が学園から出ていく…という自分の言葉で、凍也は金縛りにあったような感覚に襲われた。
「だから?」
 言葉を止めた凍也の後ろから、耳元に続きを促すように囁くと、
凍也の肩がビクリと揺れて体が硬くなるのがわかる。
「だから…そんな、保障できないような約束を簡単に言わないでください!」
 九龍の手から鍵を奪うように取ると、凍也は廊下をバタバタと2年の教室へ向かって走り去って行く。
「簡単になんて言わねぇっつうの。失礼な奴…婚姻届でも書けばいいのか…婚約指輪とか?」
 独り言を呟きながら、凍也が走り去った方向へ視線を向ける。
 とっくに授業が始まっているというのに凍也の背中を見えなくなるまで見送り、
教室に戻るのも堅苦しいと、
親友が気持ちよく眠っているであろう屋上に足を向けた。



End