■恋したくなるお題 17. 痛みを伴う予感 (皆守×夷澤) 水天宮拓仄

 夷澤凍也は、この学園に入学した頃より持ち続けてきた野望を叶え、
満足しているはずだった。
 全校生徒の集まる体育館の壇上でマイクを目の前に、
凍也は意外なほど自分が冷めた気持ちで生徒達と向き合っている事に気づいていた。
「今年度は大きな変化が僕らを翻弄しましたが、来年度は学園に平穏を取り戻し、
生徒のみなさんと共存できる生徒会を目指して、がんばりたいと思います。
天香の生徒会長の名に恥じないよう、懸命に努めますので…
どうか皆さんも僕に力を貸して下さい」
 最後に体育館全体を見渡し、深く頭を下げた。
 お辞儀に合わせて体育館中を拍手が包みこんでいた。
 季節は正月も明け、一年の最後の学期が始まってから1ヶ月。
 天香学園では、来年度の生徒会役員を決める為に初めての選挙制が採用されていた。
 クリスマスの夜に、学園全体を長く支配していた遺跡が解放された今。
 阿門一族による学園統治は必要なくなり、生徒会が学園全体を
支配するというシステムも廃止される事が今年度の生徒会役員で決定していた。
 来年度の生徒会長は、前生徒会長からの指名ではなく、立候補者を募り、
公正な選挙を行う事になった。
 以前から生徒会長の座を狙っていた夷澤凍也が名乗りを挙げ、
他の生徒は誰も立候補しないまま、生徒会長は信任投票という形を取る事になり、
見事、候補者の凍也が生徒会長の座を手に入れたのである。
 まだ生徒達に“生徒会役員に誰もがなれる”という実感が沸かないせいか、
他の役員に名乗りを挙げる者もいないのが現状である。
 生徒会長になった凍也は、これから年度末までに自分が束ねる生徒会役員を選び、
任命していかなくてはならない。
 部活動の方も、今まで敬遠していた公式試合にも最高学年になる来年度に向けて、
色々とエントリーを予定しており、訓練もおろそかにできない時期だった。
 今、天香学園で一番忙しいのは、夷澤凍也だと言っても過言ではない。
 だが、当の本人はかねてからの野望を叶えるまでは、色々な活動を行いながら時間を過ごしてきていた。
 しかし、学園生活での目標となっていた“生徒会長”の座を手に入れた瞬間、彼の中で何かが途切れた。
 壇上からゆっくりと降りると、今年度の生徒会役員が凍也を穏やかに迎えてくれる。
 先頭に立つのは、当然現生徒会長の阿門。
 何も言わないが、彼にしては優しい眼差しを凍也に向け、一度だけ頷いた。
 それに凍也も無言の会釈で返し、さらに足を進める。
「なかなか立派な挨拶でしたよ、夷澤。来年度は、あなたに任せて安心というわけですね」
 細い目を一掃細めて、ピンと背筋を伸ばしままの神鳳が凍也の左肩をポンと叩く。
 神鳳の左脇に立っていた双樹も、今までの意地悪な笑みではなく優しく微笑んでいた。
 2人にちょこんと頭を下げ、生徒会役委員席の末尾に歩を進めていく、
自分が座る椅子の脇に今まで公の場に姿を表す事のなかった、副会長の皆守甲太郎が
いかにもダルそうに浅く腰かけたまま、戻ってきた凍也に気づき、チラリと視線だけ
を送ってきて再び目を閉じた。
 甲太郎の隣にある椅子に腰かけると、ほのかなラベンダーの香が鼻をつく。
「相変わらずっすね、皆守先輩。集会の場くらい、シャンとしてくださいよ」
 少しだけ甲太郎側に体を寄ると、周囲に聞こえないように小声で、
全校生徒の目の前でもまったくマイペースを乱さない上級生を諌める。
 今、壇上では阿門が今年度生徒会長として、最後の挨拶を行っていたが
甲太郎は聞こうともしていない。
「もう、俺の役目はこれで終わりなんだ。別に、どうってこないだろう?」
「あんた1人のおかげで、生徒会の品位と権威が地に堕ちるなんて許さないっすよ」
「副会長なんて言ったって、俺は何もしていなかったんだし…誰も気にしないだろう。
それに来年度はお前が会長なんだ、品位だろうが権威だろうが好きにすればいいさ」
 ふあ〜と欠伸をかみころし、甲太郎はゴソゴソと懐のポケットを探り出した。
 その行動に凍也が目くじらを立てる。
 まさか、この場で例の彼愛用のアロマパイプを取り出すのではあるまいな?
 凍也の目がそう訴えている事を知ってか知らずか、甲太郎は予想通りにパイプを取り出し、
唇に運ぼうとした。
「ちょっと皆守先輩!」
 思わず声を荒げて、唇に触れる寸前のパイプを奪い取り、椅子から立ち上がっていた。
 まだ、壇上では阿門が生徒達に、今までの生徒会についての謝罪を淡々と述べている最中。
 突然上がった声と物音に、一瞬生徒達の視線が凍也と甲太郎の方へ集中する。
「あ…す、すんません」
 視線が自分達に集まった事を察した凍也が頬を紅潮させ、
ペコリと頭を下げて椅子に腰を下ろすと、隣にいたはずの甲太郎の姿が消えていた。
「…逃げやがったな」
 ブツブツと呟きながら、手に握り締めているパイプにぎゅっと力を込めて
周囲を見回すと、凍也の頭に軽く何かが触れた。
「夷澤、静かにしていなさい。今、阿門様が最後の挨拶をなさっているところよ」
 見かねた双樹が少し怒った表情で凍也の頭を軽く平手で叩いたのだ。
「すんません…あの、皆守先輩が消えちまったんですけど?」
「ああ、皆守はいいのよ。こういう場は嫌いなのに…この席に座った事だけでも奇跡よ」
 軽く笑いながら、すぐに自分の席に戻り壇上の阿門をうっとりしたような表情で見つめ、
挨拶が最後に近づく頃には、この涙ぐむような仕草を見せていた。
 阿門と過ごした学園生活を思い出しているのだろう。
 壇上を下りてきた阿門を確認し、小走りに駆け寄ると頭を下げた。
「阿門さん、俺…皆守先輩探してきます。最後なんすから、きちんとケジメつけてもらわないと…ですし」
「ああ、頼む」
 後は、現生徒会役員から一言ずつ壇上で挨拶をするという段取りで、
本日のスケジュールはすべて終了する。
 最後は、副会長である甲太郎の挨拶と決まっていた。
 今までずっと一般生徒に正体を明らかにしないまま、過ごしてきた副会長が、
最初の最後で公の場で言葉を発する。
 甲太郎は確かに、大勢の前で演説するようなタイプではないが、
これは今までの天香学園が生まれ変わるための儀式。
 中心人物の1人である甲太郎は、その儀式を果たす義務があるはずだった。
 その義務を果たす前に、こともあろうに姿を消したのだ。

 体育館の裏口から、出ると意外なほどあっさりと甲太郎の姿を発見する事ができた。
「皆守先輩…」
「よぉ、お前も向けてきたのか?」
 空を見上げながら、中庭にある大きな木の下で腰を下ろしていた。
「そんな、わけないじゃないっすか!早く戻ってください。
最後なんだから、ケジメつけてくださいよ」
 目くじらを立てながら、ツカツカと歩み寄る凍也をみつめて甲太郎はククっと低く笑った。
 その笑いの意味がわからずに、凍也はムカっとする。
「本当、お前って真面目だよな…」
「別にそんなつもりないっす。ただ、何事にもケジメって大事だと思います…から」
 2人きりで会話をする機会が思えば今までになかった。
 年が明ける前までは、自分達の他にもう1人いた。
 凍也にとっても、甲太郎にとっても、かけがいのない存在となっていた葉佩九龍。
 九龍を通して、凍也は甲太郎が補佐する人物・生徒会副会長だと気づけた。
 そして、今まで気にも留めていなかった存在を知ることができた。
「ケジメか。あいつが、お前を好きだって言ってたのがわかる気がするぜ」
「…九龍さんが、そんな事を?」
「ああ、別れ際にな」
「……」
 九龍を最後の最後に見送ったのは、親友である皆守甲太郎だった。
 他の仲間達には、別れも告げずに消えた。
 学園内では、まるで恋人同士のように仲を深めた凍也の顔すら見せずに立ち去った。
 ぎゅっと拳を握りしめ、唇をかみ締める。
「んなの、本当かどうか…わかったもんじゃないっすけどね。
あの人の事だから、誰にでも同じ事言ってそうですし…」
 自分に言い聞かせるように凍也はブツブツと俯きながら呟き、
手に持っていたアロマパイプを更に握り締めた。
「おい、俺のパイプ返せよ。それで、待ってたんだからよ」
 凍也の手にパイプを見つけ、甲太郎が腰を上げる。
「…ど…うして、あんたにだけセンパイは」
 凍也の肩が小刻みに震え、乾いた地面に数滴の雫が落ちて、消えていく。
「夷澤…泣いてんのか?」
 目の前に立ち、足元に落ちては消えていく雫を見つめながら甲太郎は両腕を広げて、
凍也を引き寄せた。
「…ちょ…ちょっと、皆守先輩!」
「大人しくしてろ…泣きたいんなら、思いっきり泣けよ…俺がこうして隠しててやるから」
 凍也の後頭部に手を回し、ぎゅっと自分の胸に包み込む。
 すぐに抵抗するような力を感じたが、さらに力を込めるとその抵抗は次第に弱くなり、
一瞬力が抜けたかと思うと、甲太郎の胸からくぐもった嗚咽が聞こえ始めた。
 ぐっと背中を抱きしめ、凍也の頭部に自分のそれを預けるように、
甲太郎も自身の頬を濡らす温かな雫を感じながら、静かな時間を過ごす。
 しばらくすると2人の耳に体育館から拍手や歓声が聞こえてきた。
「戻るか…」
 ボソリと呟くと甲太郎は、そっと凍也を解放する。
 数歩進んだ所で、まださきほどの場所で固まったままでいる凍也を振り返り、手を差し伸べた。
「ほら、行くぞ。来年の生徒会長」
「はい」
 その手を取り、2人は今だ拍手のなりやまない体育館へ向かう。
 それぞれの思い出を胸に秘め、新たに芽生えた感情に戸惑いながら。



End



イラスト提供:一海様