■恋したくなるお題 20. 居心地の良さに慣れ過ぎて (九龍×夷澤) 水天宮拓仄

 遺跡で最後の闘いが終わり、学園内には徐々に平穏とした時間が訪れていた。
 葉佩九龍は“直ちに帰還せよ”と帰還命令が伝えられていたが、
ロゼッタ協会に掛け合った結果、“事後処理”と銘打って一ヶ月延期させることに成功していた。
 遺跡の秘宝や謎についての報告は、学園に管理人として潜り込んでいた境に横領されたが、
さして気にした風でもない九龍は、残り少ない普通の学生生活を満喫している。
 そんな中、放課後のクラブ活動を行っている武道館は以前と違い、人ごみに溢れていた。
「あー!うっとうしい!なんなんすか、あいつらはっ」
 リング上で九龍と向き合い、スパーリング勝負をしている中に凍也は動きを止めて、
武道館の窓ガラスにへばりつくギャラリーを睨みつけた。
 その凍也の視線に気づいた女子生徒達がいっせいに黄色い声を上げる。
 生徒会役員として元々女生徒から人気が高かった凍也は、今や学園内ではアイドルのような扱いを受けている。
 密かに凍也を慕っているファンクラブが、墓の解放との影響かどうかわからないが、
表立って活動を開始した事が原因だった。
「大人気だな、トーヤ」
 ニコニコと笑いながら動きを止めた凍也に合わせて、九龍もロープに背を預けると一息入れていた。
「オレにとってはいい迷惑っすよ。動物園のサルじゃあるまいし」
 凍也が口にした台詞がよほど面白かったのか、腹を抱えて笑う。
「うまいな!まさに、今のお前はそれだっ」
 自分を指差して笑う九龍を睨みつけながら、飛び掛りたい衝動をこらえる。
 ここで妙な所を見せてしまうと、明日には学園中に己の醜態が知れ渡る事になるからだ。
「っとに…いい加減にしてくれよっ」
 ブツブツと文句を呟きながらグローブから拳を引き抜くと、リング外に放り出して九龍に背を向ける。
「あれ?もうスパーいいのか?」
「あんなんじゃ集中できないっすよ…今日はもう上がります」
 ロープに手をかけながら横を向き、暗い表情でそう告げると凍也はリングを降りて更衣室に向かった。
「あっ!トーヤ!」
 リングの上に1人残された九龍はグローブをつけたままの右手で後頭部をガリガリと掻くような仕草を見せ、ため息をついた。
「…残り時間少ないってのに」
 学園生活で親しくなった仲間達に、自分が1ヶ月で“事後処理”を終えてこの学園を立ち去る事を告げていない。
 皆一様に“葉佩九龍は卒業式まで一緒に学園で過ごす”と思っている。


 凍也がいないボクシング部に用事がないとばかりに九龍もリングを降りると更衣室に向かう。
 窓の外にいたギャラリーが少なくなった所を見ると、おそらく凍也はすでに寮に向かったのかもしれない。
 更衣室の扉を開けると、案の定そこには誰も居なかった。
「…どうっすかなぁ」
 これから自分がどう動くべきか考えながら、手早くジャージから制服に着替えると、九龍は動きを止める。
 思えば、この学園に派遣されてきてから3ヶ月半もの月日が流れていた。
 自分が1つの場所に、これほど長く留まった事は無かった上に、周囲の人間が同世代という経験も無い。
 忘れかけていた自分が十代の人間だという事を思い出してしまった。
 この居心地の良い空間が体に馴染む事が、九龍にとっては幸福でもあり苦痛でもある。
 どんなに居心地が良くても、どんなに好きな人間ができたとしても、自分はいつか立ち去るのだ。
「まさか…こんな風に思うようになるとは思わなかったんだ」
 瞳を閉じ、凍也が使っているロッカーを見つめ、拳を握る。
「下手に居残った俺も…俺だけどな…」
 小さく舌打ちをして更衣室から出ると、遠巻きに女生徒達が自分を見つめている事に気づき、すぐに口元に笑みを浮かべて彼女達に軽く視線を流す。
『キャー!』
 九龍の視界に入った女生徒達は頬を赤らめ、声をあげる。
「もう下校時間だよ?途中までみんなで帰ろうか」
 その言葉に女生徒達からまた悲鳴があがり、にっこりと笑顔を向けた九龍は玄関に向かった。
 後からついてくる女生徒達の中に、見知った顔があるなと気づいた時に彼女は声をかけてきた。
「葉佩くん」
「ん?君は…確かB組の佐伯さんだよね?」
「ええ、あなたに名前を覚えてもらえているなんて光栄だわ」
 にっこりと笑いながら佐伯は他の女生徒達からの視線を受け流し、九龍の隣に並んだ。
「俺はこの学園に通う女性達の顔と名前は完全に覚えているんだよね、一種の特技だよ」
 ウインクして佐伯をやや高い位置から見つめるが、特に彼女は冷静な表情で口を開いた。
「そう…それより葉佩くん」
 九龍の話しにたいした興味を示す事なく、彼女は立ち止まってしっかりと瞳を見つめてくる。
 その瞳の強さに驚きもしたが、それで動揺するほど九龍は未熟でもない。
「何か聞きたい事でも?」
「ええ。でも、ここじゃ…ちょっとね」
 チラリと自分を恨みがましい視線で見つめてくる女生徒達に視線を向け、次に九龍を見つめる。
「そうだね。話すには、ちょっとそぐわないかな…」
 小声で告げると、佐伯の後ろで立ち止まっている女生徒達に手を振りながら声をかけた。
「悪いけど、この子具合悪いから保健室へ行くね。君達は早く下校して!」
『えー?そんな葉佩先輩』
 さすがに白々しい嘘だと思ったが、それくらいしか彼女達を遠ざける適当な理由がなかったのだ。
 その様子を見つめていた佐伯がガクリと廊下に膝を落とし、蹲る。
 当然、彼女の演技である。
「あ…大丈夫?さ、保健室に言ってルイ先生に診てもらおう」
「ええ」
 さすがに女生徒達もその状況に戸惑い、1人…また1人と2人の前から立ち去り、
廊下には九龍と佐伯以外には居なくなった。
「君は一体俺から何を聞きたいんだ?」
 演技までして、何を聞きたいのだろう?
 彼女の様子からして、大勢の女生徒達のように自分を慕っているという感じも受けない。
 蹲っていた佐伯が立ち上がり、九龍を見上げるとその瞳には涙が溜まっていた。
「…もしかして、本当に具合が?」
 慌てて佐伯の手を取ると保健室の方向へ向かおうとするが、それは手を取った彼女に止められた。
「具合が悪いわけじゃないわ…ただ」
「ただ?」
 少し屈んで彼女の視線に自分の視線を合わせると、2人の視線が絡み合う。
 下校時間をわずかに過ぎている廊下には、誰も居ない。
「あなたに伝えたい事があって…」
 顔を覗き込むと、さきほどまで冷静な表情を見せていた佐伯が瞳を潤ませ、頬を染めている。
 その反応を見て九龍は佐伯の気持ちが理解できた、だがその言葉の続きは聞きたくない。
 そう思って、佐伯の肩に手を触れた。
「あんた達、さっさと下校…センパ…イ?」
 階段から下りてきた凍也が下校時間の巡回をしていた。
 目の前で頬を染めながら九龍を見つめる女生徒と、その女生徒の肩を抱こうとしている九龍。
 凍也の目の前が一瞬にして真っ赤に染まる。
 カッ頭に血が昇るのがわかった。
「ま…まだ生徒会の規則は生きています。さっさと下校してください!」
 それだけをまくし立てると凍也はパタパタと2人の横を駆け抜けていこうとした。
 九龍の横を通りすぎようとした時、凍也は強制的にその動きを止められた。
「トーヤ、ちょっと待て」
「な…何すんですか?邪魔なようだから、消えてやろうとしてんですけど?」
 俯く佐伯を睨みながら凍也は九龍の視線から顔を背ける。
「佐伯さん」
「え…」
 九龍の言葉に思わず佐伯は涙の流れ出した顔を上げた。
「ごめん…俺、こいつと話しあるからさ。1人で帰ってくれるかな?」
「…ええ」
 ハンカチを鞄から取り出して佐伯にそっと手渡し、唇を開いた。
「本当に…ごめんね?」
 優しく微笑みながらハンカチ越しに彼女の手をきゅっと一瞬だけ握り、小さく頭を下げる九龍に
佐伯は涙をポロポロと流し、踵を返した九龍と戸惑う様子を見せる凍也を見送った。
「ありがとう…葉佩くん」
 受け取ったハンカチを握りしめ、しばらく佐伯は廊下で立ち尽くしていた。



 佐伯を廊下に残し、九龍は嫌がる凍也を連れて屋上に来ていた。
 風にのって微かにラベンダーの香りが漂っていたのは、つい数分前まで九龍の親友である
皆守甲太郎の存在を容易に想像できた。
「そういや…俺が部活終わるの待ってるって言ってたな…」
 キョロキョロと屋上を見回したが、どうやら寒くなったのだろう来るのを待たずに帰ったようだ。
 ほっと息をつき、扉を閉めるとようやく凍也の腕を解放した。
「なんなんすか?一体!怒ってるんすか?さっき、邪魔したから」
 寒風が吹く中、凍也が九龍に向かって声を荒げる。
「いや…さっきは助かったよ。正直、困ってたからさ」
 遠い目をして屋上から下に広がる校庭を見つめた。
 その様子に凍也の心臓がズキリと痛む。
「らしくないじゃないっすか、センパイは女好きなんでしょ?」
「そりゃ、好きだけどさ…ここでは、もうそんな事やってらんないから」
 呟いた言葉にはっとして九龍は自分の唇を抑えた。
「…“もう”ってどういう意味っすか?」
「いや…なんでもない」
 屋上の柵を両手で掴んで下を覗きこむ九龍の傍に駆け寄り、
自分よりずいぶん高い胸倉を掴んで自分の方へ向かせて下から睨みあげる。
「なんでもないだって?それが、なんでもないって顔かよ!」
 鼻がぶつかりそうな距離で視線を絡ませ、唾が飛びそうなほど怒鳴り散らす。
「嘘…なんでも、ある」
「一体、どうしたんですか?最近のセンパイ…らしくないっすよ」
 近い距離のまま、今度は心配そうな表情になり九龍を見つめ、瞳を閉じると胸倉を
掴んでいた腕に力を込めた。
「…っ」
 九龍の目前にあるのは瞳を閉じた凍也の顔。
 眉間にわずかだが皺が寄り、鼻息も荒く頬も赤く染めている。
 震える唇は自分のそれに合わせられ、おそるおそる舌が唇に触れてきた。
 それに応えるように唇を開くと、凍也の舌がそっと口内に入ってくる。
 胸倉を掴まれたまま凍也の腰を引き寄せて、ぎゅっと抱きしめた。
「は…ふっ…セン・・パ」
「凍也」
 唇に舌を這わせるとぎゅっと閉じられた凍也の瞳から涙が滲む。
 その涙をそっと舐めると塩辛い味がした。
「凍也…どうしたんだ?お前からなんて初めてだろう?」
 抱きしめたまま凍也を見つめる。
「なんか…したくなったので」
 真っ赤になりながらモゴモゴと口を動かす凍也を見つめて、心臓が痛いと感じた。
―やめ…て、くれ凍也。…お前までー
 抱きしめている腰から両腕を離し、九龍は凍也に背を向けた。
「そろそろ帰ろうぜ。下校時間はとっくに過ぎているんだろう?」
「センパイ!」
「ん?」
 振り返れずに九龍は苦痛に顔をゆがめながらも、いつも通り調子の良い声を発する。
「そ…卒業式の時…オレが送辞読むんで、サボらないでくださいよ」
「…!」
 その言葉に思わず振り返る。
 それだけなのに凍也にはわかってしまった。
 きっと、葉佩九龍は卒業式を待たずに…そう、あと数日でこの学園を去るのだ。
 生意気な言葉と裏腹に凍也は泣きそうな表情を浮かべ、必死に涙をこらえていた。
「凍也」
 凍也の元に駆け寄りぎゅっと抱きしめた。
「ごめん…今まで言わなくて…お前には、わかってたんだな」
「そんなの…あんたを見てればわかりますよ」
 両腕を九龍の背中に回し、大きな胸に顔を埋めると心地よい心音が凍也の耳に響く。
「センパイ、ちょっと心拍数早いっすね」
 クスリと笑う凍也を感じ、九龍は両腕に力を込める。
「仕方ないだろ…お前のこと抱きしめてんだから」
 九龍の声が少し掠れていた。
「いつなんです?」
「…今月の末」
 ぴくりと凍也の背中が反応したかと思うと、背中に回された腕が解かれた。
 抱き合っていた2人の間に寒風が入り込む。
「そうっすか…でも、卒業式には出席してくださいよ?待ってますから」
「トーヤ…俺は」
 揺れる瞳を見つめながら九龍は搾り出すように声を発する。
「それじゃあ、また明日!センパイも早く下校してくださいよ!」
 早口にまくし立て、凍也は校舎へ繋がる扉を開けて姿消した。
 開いた扉からバタバタと足音が遠ざかっていく。


「…」
 寒風が胸を通り過ぎていく。
「居心地が良すぎるよ…ここは」
 九龍の頬を一筋の雫が濡らしていた。



End