■ 『 お気に入り。 』 水天宮拓仄

 昼休み。
 生徒会・副会長補佐の夷澤凍也は売店へ本日の昼食を調達するべく廊下を売店近くの廊下を歩いていた。
「夷澤!」
 廊下を歩く夷澤の背後から聞き覚えのある声が彼を呼び止めた。内心の動揺を悟られないように夷澤は不機嫌な表情で振り返った。更にずれてもいない眼鏡を押し上げる仕草まで付ける。
「センパイ。そんな大声出さなくても聞こえるっすよ。迷惑な人だな」
 ジロリと睨むように見上げてきた夷澤を呼び止めた九龍は笑顔で受け止めた。その余裕たっぷりな態度の先輩に腹が立つ。
「お前これから飯か?」
「そうっすけど?」
 九龍のやや後ろでダルそうな態度で、会話が終るのを待っている皆守をチラリと見て、なぜか気分が沈んでしまう自分に夷澤は戸惑ってしまう。そんな夷澤の複雑な心境を余所に九龍はニコニコと口を開いた。
「俺らこれからマミーズ行くんだけど、お前もどう?」
「はぁ?何言ってんすか…皆守センパイと一緒なんでしょ、アンタ」
「や、だからお前もどうかなーって言ってんだろ?」
 今まで1人で食べることに慣れていた夷澤にとって九龍の申し出は突然で、驚きを隠すことができない。
「オ…オレ、パン代くらいしか持ってないっすから」
 学ランのズボンには高校生にしては豊かな状態の財布が入っているが、とっさに口から出てしまった言葉は九龍の誘いを断るための口実となってしまった。
「よっしゃ、わかった!じゃあ、“やさしい先輩”が奢ってやるよ。な、コータ?」
「なんでそこで俺の名前が出てくるんだよ九龍!」
「えー!いいじゃん!かわいい後輩にやさしくしてやれよ。これから仲間同士なんだしさ」
 そう、先日の探索で九龍に敗れた夷澤は自ら協力を申し出たばかりだった。九龍の仲間内では一番の新米なのだ。
「俺はごめんだね。今日は行かねぇ。お前は“かわいい後輩”とやらと勝手に行け。じゃあな」
 そう告げると皆守は不機嫌そうに立ち去って行く。ラベンダーの残り香を残していった。
「あー!ったく、コータの奴ケチくせぇな!」
 笑いながら自分の事は棚に上げて九龍は夷澤を振り返る。向けられた笑顔や言葉にドギマギしてしまって夷澤はあわてて眼鏡を掌で抑える仕草で隠して憎まれ口を開いた。
「いいんすか?怒って行っちまいましたよ、親友なんでしょ?」
「あー、いいんだよ。どうせ一眠りして目が覚めれば、元に戻る奴なんだよ、あいつは」
「じゃ、じゃあオレもこれで…早く行かないと売り切れそうっすから」
 そそくさと売店へ向かおうとした夷澤は伸びてきた腕に捕まってしまった。自分よりずいぶん長身の九龍が肩にぐるりと腕を回してぐいっと引っ張られる。九龍の大きな胸に顔が当たって夷澤の体温が一気に上昇した。首も耳も顔も真っ赤に染めてバタバタと暴れた。
「イテッ!静かにしろって!静かにしねぇと奢ってやんねぇぞっ」
「え?」
 まだ自分とマミーズへ行くつもりでいる九龍の言葉にピタリと夷澤の動きが止まり、まだ赤く染まったままの顔をつい上げてしまった。
「だから奢ってやるよ。かわいい後輩の夷澤?」
 笑顔を向けられて、心臓がバクバクとうるさい。同性の九龍にこんなにも自分が動揺していることが知られたくなくて夷澤はすごい勢いで九龍の腕から逃れ、真っ赤になっているであろう自分の顔を見られたくなくて九龍に背中を向けた。
「しっ仕方ないっすね!そんなに言うなら奢ってもらうっす」
「そうそう。後輩はセンパイの言う事を聞いておくもんだぞ、トーヤ」
「なんすか“トーヤ”って!気安く呼ばないでくださいよっ!」
 照れ隠しに早足で九龍の前を歩きながら大声でまくしたてる。早足で歩いている自分に悠々とした歩調でついて来る九龍を恨めしく思いながら。半ば走るような歩調でマミーズニ到着した頃には、緊張と早足で息が上がった夷澤を笑いながら九龍は先に中へ入っていく。
「ほら、早く来いトーヤ」
「だからっその呼び方なんなんすかっ」
「え、お前って“夷澤凍也”だろ?」
 接客で出てきた奈々子に笑顔つき、慣れた様子で指を2本立てて2名で来店したことを示すと九龍は後ろにいる夷澤を促して店の奥に進んで席についた。
「で、何だっけ?」
 いじわるそうな表情でニヤニヤと夷澤を見つめてくる九龍。何か言いかけたが夷澤は口をパクパクと動かしてがっくりとうなだれた。
「もう、いいっす。どうとでも呼んでください」
 何を言っても無駄だということをやっと理解したらしい夷澤をよそに注文を取りにきた奈々子の元気が良い声が上から降ってきた。
「ご注文はお決まりですかぁ?」
「天香定食2つ。トーヤもそれでいいだろ?」
 スポンサーに逆らう気も起きない…というか、どうせ希望は通らないことを悟った夷澤はだまって頷いた。
「あれー?珍しいですね九龍君。カレーライスじゃないんですか?」
 意外なのがわからない夷澤は奈々子の言葉に顔を上げる。何を驚いているんだろう?ウェイトレスなら客の注文に文句言わないで、さっさとメモとれよ、とばかりに見上げていると、九龍がまた笑顔でその疑問に答えてる姿が見えた。
―なんなんだこの人は。いつもいい顔して…いったい何のために媚びを売る必要がある?
「いいの、いいの。コータと来るといっつもカレーライスだろう?たまには違うのも食べたいんだよ。ぶっちゃけ奈々ちゃんも食べちゃいたいんだけど?」
―うわっサイアクだな、この人!
「やだぁー!九龍君ったら冗談ばっかり言ってぇ!えーっと、天香定食2つですね。少々お待ちくださぁい!」
 頬を赤く染めてトレイを抱える姿は、九龍の言葉がまんざらでもない様子だった。露骨に溜息をつく夷澤に再び九龍が視線を戻した。
「何?何か言いたそうだな、トーヤ?」
「いっつも、あんなことやってんすかセンパイ」
「んー?まさか!いつもなんてやってないぜ?」
 相変わらず、張り付いたような笑顔で答えてくる九龍にだんだん腹が立ってくる自分を感じた夷澤は、自分の戸惑いはじめていた。自分を食事に誘ったのも、今後一緒に行動するために親しくなろうとしているだけ。九龍にとって自分はその他大勢と同じなのかと思うと、食事の誘いに嬉しそうについてきた自分が情けなくなってきた。
「でも、いつも笑って…大勢の人間に愛想振りまいて…。そういうの疲れないんすか?オレだったら絶対に無理っすよ」
 己への怒りが素直に言葉に反映されてしまったが、もう口をついて出てしまった言葉は取り消すことはできない。チラリと視線を正面に向けると、驚くほど真剣な表情をした九龍がいた。
「ふーん。“夷澤”はそんな風に俺の事見てたのか?心外だな」
 名前の呼び方が元に戻ったというのに、夷澤はチクリと胸の痛みを感じる。九龍を包む空気が遺跡の中で出会った時のように感じられて背中に冷たいものが走った。
「ち、ちがうって言うんすか!センパイのやってる事は節操なく誰にでも媚びを売ってるように見えるんすよ!」
 九龍の視線に耐え切れなくてすっと視線をテーブルに落とす夷澤。
「今日だってオレがアンタの仲間になったばっかりだから飯に誘ったんだろ?今までだって新しい仲間にこうやって近付いて…仲良くやってんだ?はっバカみてえだ!餌に釣られてアンタの手中に収まって満足している連中とオレは違う!」
 まくしたてるように言い終わると、重苦しい空気が二人を包んだ。後輩の自分にここまで言われてもなぜ九龍は反論してこないんだろうと夷澤が構えていると、沈黙は元気の良い声で破られた。
「天香定食おまたせいたしましたぁ!ごゆっくりどうぞ」
 2人の目の前にそれぞれトレイを置くと、忙しいのか今度は九龍に声をかけることなくその場を立ち去った。
「よし、食べようぜトーヤ。冷めるぞ」
 今までの会話がなかったかのように明るい声が夷澤に掛けられると、驚いた夷澤は勢いよく顔を上げた。すでに箸を割っていた九龍と目が合う。
「なあ。俺がこうして一緒に飯食う相手なんて少ないんだけど?」
「嘘つかなくてもいいっすよ…オレも言いすぎたっすから」
 九龍のいつもと変わらない様子に先ほど吐き出してしまった言葉が急に恥ずかしくなった。
「嘘じゃないって。俺だって感情あるんだぜ?好きも嫌いもある。お前の話聞いてると、まるで俺が何も考えずに知り合った人間を口説きまくってるみたいに言いやがって」
「くっ口説くって…そんなこと言ってないっすよ」
「いーや、言ったね。ま、そう見られても仕方ないかもな。お前になら」
 意味ありげな言葉を発してから、昼休みが終る時間が迫っていたのか慌てて定食をいっきに口へかきこむ九龍。
「それってどういう意味っすか?」
 すっかり手が止まっている夷澤に目で「早く食え」と合図してきた。確かのんびりしていると授業に遅れてしまうと判断した夷澤もいっきに定食を口にかきこみはじめた。


 マミーズを出て2人は急いで校舎に戻ろうと足早に歩いていた。もっともリーチが九龍よりもだいぶ短い夷澤は駆け足に近い歩調になっていた。
「ちょっちょっとセンパイ!さっきの答え聞いてないっすよ!」
「さっきのって?」
 とぼけている九龍にイラつきながら、もう少しで校舎に戻ってしまう。そうなるとこの疑問にはずっと答えてもらえないと判断して夷澤は文句を言いたいのをぐっと耐える。
「オレならそう思うって言ってたじゃないっすか?どういう意味なんすか?」
「あーアレね」
 そう言うと夷澤の前を歩いていた九龍が急に立ち止まった。すぐ後ろにいた夷澤が大きな背中に鼻をしたたかに打ちつけた。
「なー…!」
―なにいきなり立ち止まってんすか!
 と文句が口から出そうと顔を上げたが、九龍からの言葉と行為にそれは敵わなかった。
「俺がお前を気に入っているから」
「へ?」
―ちゅっ
 軽く音を立てて額に唇を触れさせて笑顔を残し教室に向かっていく九龍の後ろ姿を、午後の授業が始まることを知らせるチャイムが鳴り終わるまで夷澤は呆然と見送っていた。


End