■ 『 求メルモノ 』 水天宮拓仄

 東京・格闘技の聖地とも言える後楽園ホールに歓声が沸き起こる。
 甲高いゴングが鳴り響き、中央のリングで高々と腕を抱えあげられる小柄な青年が笑顔で歓声に応える。
 歓声にかき消されないよう、リングサイドで実況アナウンサーが声を張り上げた。
『日本フライ級タイトルマッチ!2ラウンド1分26秒KO!制したのは挑戦者の夷澤凍也だー!ここに新チャンピオン誕生っ圧倒的な強さを誇る新人がベルトを奪い取りましたぁ!』

 勝利者インタビューを終え、歓声に送られながらチャンピオンベルトを腰にまきつけたまま凍也はリングを降りた。
 ジムのスタッフとは控え室に向かう廊下の途中で別れる、試合後は一人になりたいと言う凍也のデビュー当時からの希望は、王者になった今も変わらない。
「それじゃあ、凍也。今夜はゆっくり休め…ってもたいしたケガもないけどな。とにかく、おめでとう!祝勝会はまた後で連絡する」
「お疲れ様でした!明日ジムに顔出すので、今日はこれで」
「ああ、じゃあまた明日な」

 スタッフの背中を見送ると控え室のドアを開け、中に入る。
「おめでとーー!トーヤ!」
「うあっ」
 突然、凍也の頭上からポンっと小気味良い音が響くとキラキラとシャワーが降りかかった。
「セ…セ・ンパイ!」
 勢い良く降りかかるシャワーの正体は、目の前にいる人物が手に持つシャンパンボトルからのもの。
 そして、眼前に現われた人物は凍也が天香学園を卒業して以来の再会となる、葉佩九龍その人だった。
「センパイ、どうして?」
 シャンパンの勢いがなくなってきた隙に口を開き、言葉を発しようとした凍也の目に驚愕の事実が飛び込んできた。
「だあーーーっストップ!センパイ!」
 勢いがなくなったと九龍がボトルの口を押さえ、さらにシャンパンシャワーを凍也に浴びせようと振り上げた。だが、それは大声を上げた凍也によって静止された。
「なんだよ、トーヤ。せっかくお前の勝利を景気良く祝ってやってんのに」
 自分よりずいぶん身長の高い九龍の腕とボトルを押さえるために体を密着させ、背伸びまでした凍也を見て九龍はニヤリと笑う。
「そ…そのボトル…ひょっとしなくても、ド・・ドンペリなんじゃ?」
「おうっその通り!さすがよくわかってんなっ!しかも、お前の誕生年1987年ものだぜ?」
 得意そうにボトルを振るとわずかに残っているシャンパンがチャプンと音を立てている。
「マジっすか…セ…センパイ、相変わらずっすね」
 高々と掲げられているボトルを見つめ、ふうっとため息をついて自分の体制を思い出す。
「トーヤは呑みたいって事か?」
「へ?」
 自分から九龍の懐に飛び込んだものの、離れようか離れまいか迷っている間に上から声がかかる。
 その声に顔を上げると突然目の前が暗くなった。
「んっ…セ…んんっ」
 唇を合わせたと思った瞬間凍也の鼻にドンペリの香りが漂い、唇と唇の隙間からも漏れる。
「どう?うまいだろ?」
「は…っ」
 口内にわずかに取り込まれたシャンパンをコクリと飲み込み、突然の出来事で咄嗟に言葉も見つからない。
 さきほどの接吻でほんのりと頬が赤く染まり、瞳も潤みはじめた凍也を引き寄せ、じっと見つめる。
「凍也、やっと会いに来れた」
 シャンパンシャワーで落ちてしまった前髪をかきあげて、そっと眼鏡を外す。
 傷だらけの顔を愛しそうに見つめながら、額や頬、瞼に軽く接吻を繰り返し、再び唇を奪う。今度は深い交わりを求めて乱暴に舌を絡めた。
「セ…センっ…んんっうんっ」
 名残りおしそうに唇を離し、最後に色がついた唇をペロリと舐めると両腕を凍也の腰に回したまま九龍がいつもの笑みを浮かべている。
「ど、どうして、ここに?もう、会えないって…言っていたのはセンパイじゃないっすか」
 凍也の天香学園卒業式に九龍は仕事の合間を縫って会いに来てくれた時の事を思い出した。
 当時の哀しみと今の現実に凍也の瞳からは涙が零れる。
「あ〜確かに言ったのは俺なんだけどさ…あの時は、もうお前に会わないと誓ったんだが・・な」
「な…なんで、もう俺には会わない…って」
 卒業式以来ずっと抱えていた九龍への疑問をようやく口にできた凍也を前に、九龍は自嘲気味に笑った。
「俺がいつ死ぬかわからないからさ」
 あっさりと自分の死を肯定するような九龍に凍也は酷く傷ついた表情を見せ、ぎゅっと瞳を閉じた。
 それは、天香学園に九龍が在籍していた頃から、目の前で見せ付けられつづけてきた事だったからだ。
 ロゼッタ協会所属のハンターとして、九龍は危険を顧みずに遺跡に潜り続けている事が日常となっている。
 さらに九龍はハンターとしての知名度も国際的に一流と認められており、より危険度の高い遺跡調査を依頼されつづけている事が、凍也にも容易に想像ができた。
「そんな事、俺には関係ないっすよ!」
 拳を握り締め、ぐいっと自分の目を擦り涙を拭う。
 バンテージを巻いたままの両手で九龍の胸倉を掴むと力いっぱい自分に引き寄せた。
「いっ…いだだっ!」
 体を密着させた状態で10cm以上も身長差のある凍也に胸倉を下に引かれ、無理な体勢を取る羽目になった九龍は悲鳴をあげた。
「俺はもっとセンパイに会いたいし、一緒に居たいっすから」
 胸倉を掴みながら凍也らしい表情を見せると、九龍が手に持っていたシャンパンボトルを奪い取る。
「トーヤ?」
 掴まれていた胸倉を解放されて、凍也の腰に回していた両腕を解放した九龍は一瞬目を丸くした。
「せっかく、アンタにもらったこのドンペリ。一緒に堪能しないと損っすよね!」
 そう言い放つとボトルの口を抑えながら上下に振り、その勢いで九龍にもシャンパンをシャワーのように放った。
「ぷわっ」
 残り少ないシャンパンは九龍にすべて降りそそがれる。
「な、何すんだよっ俺までビチョビチョじゃねーか」
 長い前髪をかきあげながら、唇の片方を吊り上げて笑う凍也を嬉しそうに見つめる九龍。
 荷物からタオルを取り出して九龍に放り投げる。
「…ですから…一緒に、シャワー浴びますか?九龍さん」
 瞬間、発言した言葉が恥ずかしいのか耳まで真っ赤にした凍也は九龍に背を向け、控え室のドアノブに手を伸ばすとカチャリと鍵をかけた。
「いつになく大胆だね、トーヤ」
 さっきまで驚いていた九龍だったが凍也の意図をすぐに理解し、身につけていたシャツを勢いよく脱ぎ捨て、背を向けたままの凍也を抱き締めた。


 後楽園ホールからすっかり人もいなくなり、凍也と九龍は観客席からリングを見つめながら2人並んで腰を下ろしていた。
 2人ともどこかさっぱりとした表情で無言のままリングを見つめる。
 この沈黙を破ったのは凍也の方だった。
「九龍さん、俺も一緒に連れて行ってください」
 視線はそのままに、それだけを口に出すとすっと瞳を閉じた。
 九龍が天香学園を立ち去る直前にも、一言一句同じ言葉を発した事が脳裏に甦る。

 しばらくの沈黙の後、凍也の横にすっと風が流れると背後に遠ざかる気配。
「……ごめんな、凍也」
 あの時と同じ言葉を残して九龍は凍也の前から消えた。


「まだ…ダメ…俺、どこまで強くなればいいんすか、九龍さん?」
 観客席に座りながらうなだれる日本フライ級王者・夷澤凍也の姿は、この夜いつまでも消える事はなかった。

Fin