■ 『 執事と眼鏡 』 水天宮拓仄

「ねえ、クラハドール」
「はい?何でしょうか、お嬢様」
 ベッドに体を起こして、カヤは部屋の整理をてきぱきとこなしている執事のクラハドールに声をかけた。
「あなたの眼鏡、サイズが違うみたいね」
「ええ、でもずっと使っていますから…」
 動きを止めたクラハドールは、カヤの方を振りかえった。そして、またずれた眼鏡を変わった動作で直す。指ではなく、手首を使う独特な動き。
「新しいのに変えたら?」
「いいえ、結構です。それに、眼鏡を買いに行くにはとなり町まで行かなければならないですし。お気遣いはありがたいのですが…」
 眼鏡を押し上げて、クラハドールは困ったような表情を作る。その表情に、カヤもこれ以上は言えなくなってしまった。
「そう…」
「申し訳ありません。折角のお言葉でしたのに…」
「いいのよ。あなたが良いって言うのだから」
「では、お嬢様。今日は語学のお勉強ですので、今から講師を呼んでまいります。ご無理をなさらないでください」
「ええ、ありがとう。クラハドール」
 

整理を終えて、クラハドールはカヤの部屋を出た。出た瞬間に、今までの温和な表情は消えうせ、忌々しげにつぶやいた。彼は、元・海賊のキャプテン・クロ。
「ちっ…余計なお世話だ」
 眼鏡を押し上げると廊下をスタスタと歩く。
 

 講師を呼びカヤの部屋まで愛想の良い執事として案内したクロは、自室へ戻っていた。
「ふぅ…まったく、執事ってもんは疲れるぜ。あんな小娘一人にぺこぺこしやがって…俺の眼鏡なんぞ放っておけばいいものを!」
 荒々しくベッドに身を投げて、瞳を閉じる。ふと、このサイズが合わない眼鏡を自分に贈った人物を思い出す。
 そう、今からちょうど十年前の出来事であった。






 クロがまだ海賊として、暗躍し始めて間もないころ。とある港町に辿りついていた。まだ船の設備も船員も充分に揃っていない。
「しけた街だぜ、ここは」
 街を歩いきながらクロは、忌々しそうにつぶやいた。小さな港町では、補充もできない。
「とりあえず…酒だな」
 周囲を見まわして一軒の酒場を見つけて、酒場に足を向ける。酒場に入ると、意外にも男たちや、華美に着飾った女たちが集まっていた。騒がしい事を嫌うクロであったが情報や人員を得るために我慢する。とりあえず、この近海の情報と海軍支部の動き。それと人員確保が必要だ。安全に航海を続けるためには、必要なものだ。
「いらっしゃい!何飲むんだい?」
「一番強いやつを出してくれ」
「あいよっ」
 カウンターに腰を下ろしてクロは、改めて酒場の中を見渡す。屈強そうな海の男ばかりだ。中には漁師も何人かいた。
「オヤジ、ここにいる連中に酒出してくれ。俺のおごりだ」
「おっ!兄さん気前いいね!船でも、持ってんのかい?」
「ああ、船員を探してるところだ」
「じゃ、お安いご用だ」
 次々にボトルを取り出して、カウンターから男たちに大声で呼びかける。
「野郎ども!この兄さんのおごりだぁ!」
『おおおおおぉぉ!』
「存分に飲んでくれ」
 一言クロもカウンターから立ちあがって男たちを見た。海の男にしては、あまりにもほっそりとした体に繊細な顔つき。
「おいおい!本当にあんた船持ってんのか?」
「…ああ。持ってる。誰か一緒に乗らないか?」
 怒りを押さえてクロは、わずかに笑みを浮かべてグラスを持つ。男たちを見渡した。口は悪いが根はよさそうな連中だ。
(まあ…単純な方がやりやすいかもしれねぇな)
「よーし!兄さん、名前は?」
「クロだ」
「おっし、クロの幸運に乾杯だぁ!」
 一斉に男たちは、グラスを掲げて乾杯する。当然クロも、笑顔で乾杯だ。彼の頭で計画がちゃくちゃくと進んでいく。数多くのコマを集めなければならない。強く、忠実なコマ。






 酒場に居たどこにも所属していない男たちを、巧みな話術で船員として引き入れたクロは、酒場を出た。街の大通りを抜けたところにある港に自分の船をつけてあるのだ。
「ふぅ…」
 ため息を吐き出して、クロは一瞬夜空を見上げた。その瞬間に…
「うわぁぁぁ!」
「……っ!」
 いきなり脇の路地から飛び出してきた物体にクロは、ぶつかる。その勢いでクロは地面にその、細い体をしたたか打ちつけてしまった。眼鏡が空高く舞い上がり、地面に叩きつけられてしまった。
「いってぇ…」
「だ、大丈夫か?おいっあんた!」
 座りこんだままクロは頭を押さえる。倒れた時に、頭も打ってしまったようである。眼鏡がないことに気づいたクロは、当りを見まわす。
「その辺に眼鏡が落ちてないか?」
 ゆっくりとした動作で立ちあがり、クロは前髪をかきあげながらぶつかってきた男を見た。自分よりいくぶん長身で、瞳が見えなくなるようなサングラスに、ほっそりとした体のライン。髪の色も薄く、それなりに決まっている。
「あ、ああ!すまんっ…あった…うっ」
「?」
「すまねぇ…眼鏡。割れちまったな」
 男が眼鏡を掌に乗せてクロに差し出す。その割れた眼鏡を受け取るとクロは、ジャケットのポケットにしまいこむ。
「弁償するから、許してくれよ!な?」
 ずっと黙っているクロに、あせって男は肩を掴んだ。
「別にいい。どうせ、この街じゃ見つからないだろう」
 クロは顔を上げて男の方を見つめる。クロの顔を見た男の動きが止まる。
「…!……いい…」
「何が?」
「い、いや!な、なんでもねぇ!俺は、ジャンゴってんだが、あんたの名は?」
 慌てた様子でジャンゴと名乗った男は、顔を赤くした。そんな様子のジャンゴにクロは、ブッと吹き出す。
「俺はクロだ。眼鏡は本当に気にしなくていい。まったく見えないわけじゃないから」
「いや!それじゃあ、俺の気がすまねぇ!絶対、新しいのやるからさ」
「ところで、お前。変わった格好してるな」
 ジャンゴの姿形に、妙にコミカルな身のこなし。それに、移動がなぜかムーンウオークになっているのもさっきから気になっていたのだ。
「ああ、俺はダンサーなんだ。チャクラムもちょっとしたもんなんだぜ」
 得意そうにステップを踏みながらチャクラムを取り出す。チラリとクロを見る。目が合うとジャンゴは、チャクラムを落としてしまった。
(いい…惚れたっ!)
 赤くなりながらクロをまじまじと見つめる。
「どうした?」
「ん、いやっ!と、ところであんた、泊まるとこあんのか?」
「ああ」
「わ、悪りぃけど俺泊めてくれよ」
 ドキドキしながらジャンゴはクロをうかがう。一方クロは、あっさりと承諾する。ジャケットのポケットから割れた眼鏡を取り出してかけた。
「別にかまわない、ついて来い」
「悪りぃな!俺、宿なしでよ〜!風呂も入ってねぇから助かったぜ」
 船に向かって歩くクロの後からムーンウオークでついていく。その胸は、ドキドキと高鳴ったまま。

 


 クロの船に泊めてもらうことになったジャンゴは、シャワーを借り、小奇麗になった姿でクロの部屋を訪ねる。部屋でくつろいでいたクロは、ラフな格好でベッドで本を読んでいた。
「サンキュー。おかげでさっぱりしたぜ」
「ああ、ベッドはあいにく余ってねぇんだ。適当に寝てくれ。毛布はそこにあるからよ」
 ベッドから立ちあがると、毛布を指差した。持っていた本を棚の上の置いた。
「なあ!俺をあんたの船に乗せてくれよ!結構、強いと思うしよ!それに催眠術もできるんだぜ?」
「催眠術…何を言い出すかと思ったら」
 バカにしたような口調でクロが嘲笑する。催眠術など信じていないからだ。
「バカにすんなよ?なんなら、あんたにかけてやってもいいんだぜ?」
「バカバカしい。俺はそんなもんにかからねぇぜ」
「じゃあ、試してみようぜっ」
 売り言葉に買い言葉で、クロはジャンゴに催眠術をかけられることに。
 ジャンゴはチャクラムを紐でつって、クロの目の前で左右に振る。
「いいか?あんたは、ワン・ツー・ジャンゴで目の前にいる男に惚れるんだ。いくぞ、ワン・ツー・ジャンゴ!」
「……!」
「……!」
 二人同時に目の前にいる男を見つめる。
「好きだぁ!クロぉ」
 見事に自分で催眠術にかかり、クロに抱きつこうとしたがクロはそれをかわした。
(な、なんだ?この気持ちは…)
 目の前にいる、今日あったばかりの男が気になる。いや、むしろ好きな人間だと感じ始める。常に人を疑い、生きてきた自分が好きになる人間など、いないはずだった。いや、いるはずがないと思っていたのだ。
「クローーーーー!」
「う、うるさいっ!大人しく寝てろっ」
 ギロリと迫力万点の目つきでジャンゴを黙らした。自分の気持ちがわからなくなってしまう。催眠術のせいなのだろうか?
 このまま、キャプテン・クロの船で平和な夜が過ぎていく…







「クロ!これ、あんたに」
「ん?何だ」
 新しい船員を迎えたクロは、次の航海へ向けて準備を始めていた。甲板に立ち船員達に指示を的確に与えていた。甲板にジャンゴが駆け込んで、クロの前でニコニコと小さい箱を差し出す。
「壊しちまっただろ?あんたの眼鏡」
「ああ」
 箱を受け取ってクロは、箱を開ける。中には、以前使っていたタイプの眼鏡とまったく違う形。まん丸のタイプ。
「ああ、前のタイプのフレーム無くてよっ。でも、俺はそっちのほうが似合うと思うぜ?な、かけてみろよっ」
 ジャンゴの言葉に従って、丸眼鏡をかけるクロ。度はあっていたが、サイズが大きすぎるのか、すぐに下がってきてしまう。
「大きいな…」
「え?ごめんっ、すぐ交換してもらうからよっ」
「いや、もういい。すぐ出発するからな。お前も行くんだろ?」
 ジャンゴから贈られた眼鏡をかけて笑いかける。その笑顔でジャンゴが舞い上がってしまう。
「もちろん!どこまでもあんたについて行くぜ!」
 キャプテン・クロの船がしだいに賑やかになっていく…。


―クラハドールー
「ふぅ〜…ばからしい」
 自分自身の気持ちにため息が出てしまう。何を感傷的になるのだろう。たまにこうして、あの男の事を思い出してしまう自分が情けない。もう、離れてから3年の月日が過ぎ去ろうとしていた。
「…計画まで…もうすぐだな」
 口元に笑みを浮かべてクロは、ベッドから体を起こした。眼鏡を押し上げると再び執事へ戻る。廊下へ出て、カヤの部屋へ戻る。
「お食事の時間ですよ、お嬢様」


おわり