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第四話(一月編完結)浅葱瑠璃
かくして始まった“書初め大会”だが、一番楽しみにしていた筈の葉佩の手は筆を持ったままピクリとも動こうとしない。
墨汁の匂いに身を委ね、瞑想をするかのように静かに目を閉じる。
しなやかに動く筆の音や、紙のカサカサという音もゆっくりと染み込むかのように耳の中へと入っていく。
色々な想いを張り巡らしていた。
ここに来た理由。
ここで出会った多くの仲間。
敵の殺戮や味方の裏切りを乗り越えて手に入れた“真実”という名の秘宝。
それら全てのことを考えながら、葉佩はうーんうーん悩んでいた。
その顔はさっきまでニコニコしていたのほほんマイペースの性格からは想像出来ないほど真剣な表情を浮かべている。
そうして、ポツリと一言洩らした。
「書初めって奥が深いんだなぁ……」
葉佩の周りの生徒達は、一人、また一人と書き終え立ち上がり《生徒会》の人間のところへと渡していく。
それを尻目に見ながらも、葉佩は未だ悩み続けていた。
ただ、『何を書いたら良いのか解らない』ではなく、『書きたいものがありすぎて決められない』のだ。
幸いにも一人一枚という規定など何処にもなかったので、書こうと思えば何枚でも書ける。
だが、それでも葉佩は何を書いたら良いのだろう、と何度も呟きながら頭をポリポリ掻き毟った。
「一体どうしたんだろう」
そんな葉佩の様子を遠くから見ていた夷澤は、不安そうな表情を表に出さないようにしながらも気にはなっていたので、
視線を向けるだけで声を掛けるようなことはしなかった。
『気楽に考えれば良いんですよ』の一言が口から出ない。
本当はもっと助言をして上げたかったのだが、マイペースの人間には何を言っても無駄だと言うことは
夷澤自身一番良く解っていたことなので、遠くから見守るだけにしようとさり気ない距離を保つことにした。
全く、あの人ったら何処までも世話の焼ける……。
夷澤が見ていることを知らない葉佩は静かに目を開けて辺りを見回した。
視線に気付いたのかと夷澤は内心ビクビクしていたが、どうやらやっと何を書くのか決めたようで、
その表情は明らかに何か吹っ切れた様子を醸し出している。
おもむろに筆を持ち上げ、墨汁をたっぷりと毛先につける。
おっかなびっくりしながら、さらさらと文字を書いていく。
だが、ここからはその大きなガタイのために見たくても見られない。
後からいつでも見られると言ってしまえばそれまでなのだが、夷澤自身は絶対に今見ておきたいと思ってしまった。
嬉しさが半減してしまいそうで。
楽しみだ。
「トウヤ!」
書き終わったそれを手に持ち、葉佩は風貌とは裏腹にパタパタと軽めのステップで夷澤の元へと走ってきた。
夷澤は待っていましたとばかりな様子で、思わず笑みを零してしまったが生憎それは葉佩には伝わらない。
いつも仏頂面しているのが仇になったのか、
笑顔を浮かべてやっと人並みの表情になっていることに夷澤自身気付いていなかったのだ。
「色々迷ったんだけど……」
相変わらずのほほんな状態を崩すことなく葉佩は一枚の紙を夷澤に渡した。
何故か折りたたまれている。
………書初めって確かに剥き出しだけど、流石にこれはないだろう。
夷澤は心の中で突っ込みながらも、それを言ったら凹んでしまうかもしれないと思ったのか、
にこやかな表情を浮かべてそれを貰い受けた。
折りたたまれた状態では何が書かれているのかは解らない。
「ホントはテーマがある方がボクとしては良かったんだけどね、伝えたいこと、いっぱいあるから」
「え……?」
「それが、ボクの今の気持ち、かな?」
ふわりと笑う。
笑顔が眩しい。
やっと話せた。
だけど、気持ちって?
紙に視線が落ちる。
ガサガサと開けてみる。
中に書かれていたのは。
「―――!?」
その文字を見た瞬間に、夷澤は耳まで顔を真っ赤に染め上げた。
“書初め大会”と銘打った以上、提出はして貰うことを前提としていたけれど。
争いはしない、テーマも決めないと確かに言ったけれど。
たった今思っていることでもいいと確かに言ったけれど。
チラリとまた視線を落とす。
とてもではないが、校内に貼れるような代物ではない。
溜息をついて折り目を伸ばそうと紙を開くと、何故かもう一枚重なっているのが解った。
……一枚じゃなかったのか。
そうして、もう一枚の紙には大きく、不格好な文字で『仲間』と書いてあった。
日本に来て初めて覚えた漢字がこれなのかもしれない。
これなら何の問題もなく貼れそうだ。
もう一枚の紙はもう一度折りたたんで制服のポケットにねじ込む。
誰にも見られてはいけないのと、嬉しさとが入り交じって変な気分になっていることを悟られないように、
夷澤は冷静を装って顔を上げた。
葉佩の姿はもうそこにはなかった。
遠くで他の仲間達と和気藹々していた。
その場に自分がいないのは多少の淋しさがあったが、
一枚を《生徒会》に提出してポケットにねじ込んだ紙を隠れるように取り出す。
「『いつもいっしょ』」
今度は全てひらがな。
『仲間』を書くより遙かに『一緒』は難しい。
だが、気持ちが篭もっているのは一生懸命書きましたと言わんばかりの書体で、
殴り書きではないことが全て物語っている。
夷澤はもう一度葉佩に視線を向けると、『ありがとう』と感謝の言葉を口にしたのだった。
夷澤は口の端を微かに持ち上げて笑った。
To be continued
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