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第十四話 うおつき
「…で?センパイの話の方は何なんすか?」
まず迷うよりも先に、声が出ていた。
夷澤にとってはとにかく二人の間の空気を変えるための一言だったが、返された真摯な視線に息が詰まる。
もしかして、これは聞かない方が良かったようなことなのだろうか。
一瞬嫌な予感が頭をかすめて、思わず夷澤は葉佩の次の言葉に身構えた。
「あ、そうだったね。……トウヤ」
「はい」
「君を迎えに来た」
あまりにも、あっさりとした口調。
覚悟したこととは真逆の内容ではあったが、
それだけに夷澤が飲み込んでしまうまでにはかなりの間が必要だった。
校門の、向こう側とこちら側。
確かにもうすぐこの箱庭に長い別れを告げるつもりではあったけれど、少しだけ、
これでセンパイの後ろ姿を追いやすくなるだろうかと思ったりもしたけれど。
サプライズにもほどがある。
そう言って突っかかってしまえれば少しは気持ちが楽になれただろうが、
残念ながら、夷澤の喉はそこまで即座に動いてくれるほど器用ではなかった。
正面に立つ葉佩は、渡されたばかりのバッヂを大事そうに扱いながら、
まるで先ほどの言葉が他愛のない挨拶でもあったかのように平然と微笑んでいる。
(そういえば、こういう人だったっけ……)
数自体は少なくても、笑ってとんでもないセリフを投げかけてくれる人だった。
マイペースで、少しこちらの常識に疎くて、世話のかかる、ここにも連絡なしに来てくれるような。
とりあえず、時間をもらおう。さりげなく一生に関わる大ごとを持ち出されているのだから、
まず何としてもそのこと自体を理解してもらうことにして。
そう思い、夷澤が最初の単語を言い出しかけたとき、無情にも更なる追い討ちが彼を襲うのだった。
「そうそう、トウヤ。式場はもう予約してあるからね」
「――はぁッ!?」
そのあまりの内容に、反射的に繰り出しそうになった拳は何とか留めたものの、
不意に口をついて出た大声だけはどうにもならなかった。
一拍置いて、今更ながら周りに誰もいないことを確認して、羞恥のためか、ショックのためか、
夷澤は恐らくひどく熱くなっているだろう自分の頬を改めて意識する。
長話になるだろうとでも思ってくれたのか、一足先に校舎に戻っていてくれたらしい響には、
後でまた礼を言っておいてもいいかもしれない。
「何ふざけたこと言ってんすかッ、さっきから、こっちは真面目に話そうとしてるってのに……!」
本気とも、冗談ともつかないようなことばかり言われて。
食ってかかるような激しい口調で返されたのが何故か意外だったのか、
今度は葉佩がきょとんとした表情をしてみせる。
それから、相手が怒っているらしいことだけはどうにか理解できたのか、
夷澤の目の前の長身はひたすらに手を合わせ、ごめんごめんと謝ってきた。
どうやら葉佩にとって、少なくとも式場関連はちょっとしたジョークのつもりだったらしい。
それはあまり再現してほしくはなかった「センパイらしさ」であったが、
頭のどこかで一年前の同じような構図を思い出してしまうだけに、夷澤も本気では怒れない。
念のため問いただしておいたところによると、今日ここに「迎えに来た」のは本当らしく、
夷澤は再び、何と表現していいかわからない複雑な気持ちになるのだった。
「それならそうと、普通に言ってくれればいいじゃないっすか。なんであんな」
「あんな風に付け加えたらきっと喜んでくれるよって、ローヤンが言ってたんだ……」
心底それが効果的なアドバイスだと思っていたらしい葉佩が、肩を落としながら呟く。
「センパイ、それ、からかわれてるか騙されてます」
一度「仕事」ともなれば抜け目ない葉佩も、それ以外の場面においては頭から何かが抜けてしまうらしい。
すっかり脱力してしまった体で、夷澤は腕を組んだ。
まあ、下手したらあれで感激してくれるような女性が、この世の中にはいるのかもしれないが。
今はひたすら、ここまで会いに来てくれて、少しでも嬉しいと思ってしまったあの時の気持ちを返して欲しい。
つられて溜め息すらつきたくなってしまった夷澤は、代わりに眼鏡の位置を調整しながら補足した。
「ひとまず時間をくれませんか。こっちにもいろいろありますし」
「…うん、そうだよね。待ってる。とりあえずこっちには一週間くらいいていいよって話だったから」
だから、その間は自由だからね。
一転、子どもの喜びを隠せない瞳で、葉佩はしゃがんでキスをした。
額に軽く、今度こそ挨拶と言わんばかりのやり方ではあったが、夷澤の度肝を抜くには十分な、
――恐らく、こんな場所では初めての。
ほどなく固まってしまった恋人の手を取り、葉佩はせっかくだからと、久しぶりの学園ツアーへと彼を誘う。
そのなんとも強引で暢気なエスコートにいつもの如くペースを崩されながらも、
次第に、夷澤の足取りは慣れたものへと変化していった。
(つか、ローヤンって誰っすか)
もしかしたら、一年というのは思った以上に長い期間だったのかもしれない。
懐かしそうに学園を見渡し、昇降口へと向かう葉佩の背中を見ながら、夷澤は残った拳を握り締めるのだった。
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