■ 『 第一章 第六話 』 文/水天宮拓仄

 ケンバートがマリンとシンが向かった村の診療所へ向かっている時。
 ルイはザナンの私室でエルフが本来使う精霊魔法とは違う、属性魔法について学んでいた。
 学ぶと言ってもルイはザナンが教えるまでもなく、本を読むだけで次々に属性魔法について理解を示していく。
 元よりエルフという種族は人間よりも高度な知能を持ち、魔法への資質は比較にならないほど高い。
 それに加え、ルイは封印の洞窟に封じられていた程のエルフだ。
 その魔法の資質は、人間であるザナンが想像できるものではない。
「……イ?…ルイ?」
 本を読みふけっていたルイに遠慮がちに声をかけるザナン。
 何度目かの呼びかけにようやく気づいたルイが顔をあげる。
 目の前にはシンプルなデザインのカップを持ったザナンが微笑んでいた。
 カップからは温かい湯気が立ち上り、ハーブの香りがルイに届く。
「少し休んではいかがです?温かいハーブティを入れましたから、お飲みなさい。
あなたの口に合えば良いのですがね」
 そう言ってカップを手渡すとにっこりと笑った。
「ありがとうございます…とても、良い香りの飲み物ですね…そして、なんだか懐かしい」
 ほっとしたような表情でカップを受け取ると口元にそっと運ぶ。
 形の良い唇を少しすぼめてカップの中身に息を吹きかける様子を見惚れてしまうほどである。
 美しい光景を前にザナンは自分のカップを持ったまま見つめていた。
 だが、ルイの表情が一変し、カップをそっとテーブルの上に置く。
「ルイ、どうしたのですか?そんなに険しい表情をして」
 部屋の宙を見上げたルイは、唇を少し動かす。
 ザナンの目には見えないが、ルイは自分に付き従ってきている風の精霊と言葉を交わしていた。
 美しい唇から紡ぎ出される言葉も自然に精霊語なのか、ザナンには意味がわからない。
 怪訝な表情で様子を眺めていると、ルイは宙からザナンへ視線を戻し、切羽詰まったような声を上げた。
「大変です。マリンが何者かに攫われたと…」
「なんですって?」
 ザナンの顔から一気に血の気が引くのがルイの目から見ても明らかだった。
「な…なぜ、そのようなことがわかるのです?」
「僕の傍にいてくれる精霊にマリンを守ってくれるようにお願いしておいたのです。
彼女に何かあったら知らせてくれるように…と」
 戸惑ったような表情でザナンを見つめて、申し訳なさそうに目を伏せた。
「マリンに精霊を?それは、彼女の身に何か起きるとあなたは予測していたということですね?
それはなぜ?あなたには、未来を予知する力があるとでも言うのですか?」
 わからない事が多すぎてザナンの言葉が少し早口になる。
 その様子に怯えたのかルイは椅子から立ち上がって逃れるように視線を床に落とした。
 まるで子供がいけないことをして、大人に怒られているようなルイの様子にザナンの表情がはっとする。
 今は、それどころではない。
 マリンが誘拐されたという事を確かめなければいけないのだ。
「話は移動しながらですね。ルイ、あなたも一緒に村の診療所へ来てください」
「はい」
 部屋の壁にかかっていたローブを手にとり、手早く身につけるザナン。
 テーブルの横に立ったままのルイの横をすり抜けると部屋の扉を開け、大きな声を響かせた。
「誰か!ルイのローブを持ってきてください!」
 村に出るとなると、このままの状態で連れて行くわけにはいかない。
 緊急時だったがザナンはいつも冷静な考えで行動のできる男だった。
 そうでなければ、この神殿の司祭とクルタの長を務めることはできないであろう。
 しばらく待つとザナンの元に神官見習の若い娘が薄く緑色をしたローブを持ってきた。
「ザナン様、こちらでよろしいですか?」
「ええ、結構ですよ。ありがとう。さあ、あなたは仕事に戻ってください」
「はいっ」
 手渡すと神官見習の娘は自分の仕事に戻っていくのを二人で見送った。
 ローブを手にしたザナンは、それをルイに着せる。
 それに加えて、同じような色の長い布を自分の道具を入れてある箱から取り出すと
ルイの鋭い耳を隠すように被せ、ヴィース女神の文様が入った留め具で首元に固定した。
これなら、,村人には美しい人間の青年に見えることだろう。
「ルイ、村人達には決してあなたの耳を見せてはいけませんよ?」
「わかりました…さあ、行きましょう」


 ルイを連れ立って神殿を出たザナンは足早に村の診療所へ向かった。
 道行く村人達は敬意を持ってザナンに挨拶をし、後に続いて歩く見かけない青年を見て、
布から垣間見える美しさにため息をつき、噂しあった。
 だが、今のザナンやルイにそのざわめきに耳を傾ける余裕はない。
 早足で村の中を歩きながらも、ザナンはさきほどの疑問をルイに再び問い掛けていた。
 人々の耳に入らない程度の小声での会話。
「あなたには未来を予知する力があるのですか?」
 ザナンの言葉に軽く頭を横に振るルイは申し訳なさそうな表情をして口を開いた。
「神官長様の様子が気になって…マリンのことが心配だったのです。僕にはケンバートがついてくれています。
でも、マリンには誰もついていないようだったので精霊に語りかけてみたら、
精霊も承知してくれたのでお願いしたのです…勝手なことをしてごめんなさい」
 その言葉にザナンは驚いたような表情を浮かべた。
 ザナンもシンの様子は気になっていた。
 しかし、神官長である彼を疑うようなこともできず、様子を見ていたのである。
 その矢先でこの知らせ。
「では、マリンを攫ったというのはシン…なのですね?」
 悲しそうな表情を見せたザナンを目の前にルイはさらに申し訳なさそうな表情を浮かべて、ゆっくりと頷く。
「神官長様をお手伝いしている人間がマリンを連れ去ったと精霊は教えてくれました」
「そう…ですか…シンが」
「あの、ザナン様…神官長様はなぜマリンを憎んでいるのですか?同じ人間なのに」
 ルイの言葉にザナンは手早くシンについて語ってくれた。


 シンは、神殿に来る前はカシム王国の王都であるカルトの下級貴族の末子であること。
 マリンが来るまでは神殿内では一番高貴な身分の出身ということを誇りにしていたが、
クルタで一番の貴族の末娘で十二歳だったマリンが出家してきたことにより、その誇りが傷つけられたこと。
 そして、マリンの才能を嫉んでいることをザナンは悲しそうな声でルイに語った。
「神殿の中では、実家の身分など関係無いと何度も教えたのですが…
シンはなかなかそれを理解してくれませんでした…貴族という家柄が彼の誇りだったのです」
「…同じ人間なのに…」
 それだけを呟くとルイは黙ってザナンの後に続いた。
 深刻そうな表情を浮かべて二人は村の中を足早に通り過ぎていく。


 そろそろ夕食の時間が近いせいか村の中には人が少なく、
あまり目立つこともなく二人は診療所の前にまで辿りつくことができた。
 そこには、睨み合いながら向き合っているケンバートとシンの姿が二人の視界に飛び込んできた。
「シン!ケンバート!いったい、どうしたというのですか?」
「ザナン様」
 シンが表情を和らげてザナンの方を振り返り、ルイの姿を認めた途端に険しい表情に変化した。
 そのあまりにも激しい表情にルイは怯え、ザナンの後ろに身を隠す。
 ルイをシンの強い視線から守るようにザナンはゆっくりとした歩調で向き合っている二人に近づいていく。
「シン…マリンをどこへ連れて行くつもりなのですか?」
「な…なぜ、それを!」
 ザナンの言葉にシンは驚愕した。
 いきなり核心を言われるとは予想もしていなかったのだ。
 意外なザナンの問いにシンは思わず事実だと表情や、その言葉で認めてしまっていた。
「やはり本当なのですね?シン…今ならまだヴィース様も許してくださるでしょう」
「シン様!マリンを攫ったというのは本当か?なぜ、そのようなことを!」
 ケンバートが声を荒げるのをザナンは視線で制す。
 まだ診療所の周囲には村人の姿が見える。
 神殿内のトラブルを村人に知らせるわけにはいかない。
 ザナンの意図を察したケンバートは口を閉ざして拳を握り締めた。
「さあ、シン…話してくださいますね?」
「…もう手遅れです」
 ボソリと呟くとシンはゆっくりと踵を返すと診療所に入っていく。
 その後にザナン、ルイ、ケンバートと続き、狭い診療所は三人も入れば一杯だ。
 診療所で神官達が座るために用意されてある椅子に腰をかけて、シンは苦しそうな表情を浮かべていた。
 その中に、彼の罪悪感を見て取り、ザナンは一層優しい声でゆっくりと再び同じ質問を繰り返した。
「シン。マリンはいったいどこにいるのですか?もう手遅れとは…」
 その声にシンは涙に震える声を絞り出した。
「マリンは…もうこの村にはおりません」
「な…なんだって?」
 それを聞いたケンバートが椅子に座っているシンに詰め寄る。
 ザナンが止める間もなくケンバートはシンの胸倉を掴み、強引に立たせた。
「どういうことだ!マリンをどこへやったんだ!」
 ケンバートの激しい表情と口調を始めて目にしたザナンは戸惑い、そしてシンは怯えた表情を浮かべる。
「早く言えよ!マリンに何かあったら…俺は貴様を絶対に許さない!」
 今にも殴りかかりそうなケンバートにようやくザナンが止めに入った。
 シンの胸倉をつかんでいるケンバートの腕に手を添える。
「よしなさい、ケンバート。彼に感情をぶつけてもマリンは戻りません」
「…ザナン様!・・・ですが……申し訳ありません」
 何かを言いかけたが自分の醜態を恥じ、ケンバートはすぐにシンを解放し診療所の入り口近くに退いた。
 だが、険しいままの視線はずっとシンに据えられたままだ。
 視線で人を殺せるようならケンバートはシンを殺していただろう。
 それほどまでに強い視線を向けられたシンは怯え、彼から視線を逸らす。
「シン…お願いです。教えてくださいますね?」
「・・・くっ。わ・・・かり、ました…。マリンはデンマーへ向かっているはずです」
「デンマー王国に?」
 ザナンの言葉にシンは頷き、言葉を続けた。
「デンマー王国の王都にいる貴族に会わせるために、連れて行かせました。
まだ、村を出てから時間が経っていないので…すぐに追いつけるはずです」
「それで…マリンは同意したのですか?」
「いいえ、マリンは何も知らされていません。薬で眠らせました」
 怒りの感情を必死に抑えるケンバートに気づいたシンは頭をたれ、肩を震わせて涙を流す。
 床にポタポタと雫が滴り落ちる様子を見、ザナンは優しくシンを抱きしめたのだった。
 自分の冒した罪を悔いるシンに、ケンバートも彼に感じた怒りを覚え、同時に同情も感じた。
 マリンを連れ去らせたのは彼の弱さ故なのだと悟ったのだ。
「シン…よく、教えてくれましたね」
 涙を流し続ける神官長を抱きしめながら、入り口に控えるケンバートとその隣に佇んだままのルイを見つめた。
 その視線に気づいたケンバートが口を開く。
「ザナン様。マリンを探すために旅立つことをお許しください」
 強い意志を持った言葉をザナンが否定できるはずもなかった。
 少しの間を空けて口を開く。
「はい、マリンをよろしくお願いします」
「あの…」
 二人の会話に遠慮がちにルイが声を発した。
 その声に被せるようにザナンがさらに言葉を続ける。
 もちろん、ルイの言いたいことを理解した上での行動だった。
「ケンバート。彼も連れて行ってください」
 ルイの方を見つめながらの言葉にケンバートは驚いた。
 エルフと一緒に旅をする?
 表情がだんだんとこわばっていくのを感じながらルイの方を振り返った。
「僕も行きます…四属性の魔法は使ったことがありませんが…使えると思うので、少しはお役に立てるはずです」
 複雑な表情でルイを見つめ、もう一度ザナンに視線を戻した。
「もうひとつ。ケンバートにお願いがあるのですが、聞いていただけますか?」
「はい」
「マリンを救い出したら、こちらに戻らず…大神殿へ向かってください。
大神殿に管理されている知識の塔へ行けば、ルイの記憶に関する情報を得られます。
それは、伝説の事実を知ることになるでしょう。そして…この大陸の運命を左右する。
・・・そんな気がしてならないのです。それに…あなたも正式な神官戦士としての手続きをしなさい」
 思わぬ長旅にケンバートは驚いた。
 これほどまでの旅は経験がない。
「大神殿へ…それほど長くクルタの神殿を空けるわけには行きません」
「大丈夫です。神殿には私もおりますし…シンも、アルもいるではありませんか」
 その言葉にシンがはっと顔をあげる。
 ザナンを見つめると、優しい表情を浮かべていた。
 自分の愚かなる行為をすべて許したことを悟ってシンは涙を流し続けた。
「あ…ありがとうございます、ザナン様」
 深く頭を下げた。
 さきほどまでの嫌な表情が消え失せたシンは涙を拭いもせずケンバートとルイに顔を向けた。
「ケンバート…申し訳ないことをしてしまった。私がお願いするのも…おかしいかもしれないが、
必ずマリンを救い出して欲しい。私がマリンを連れ出すように命じた人間は…金で雇った男達。
ならず者達がマリンに何かする前に救い出してくれ、頼む!」
 その言葉にケンバートは力強く頷く。
「わかりました…シン様はアルと共に神殿とザナン様を守ってください。
私は必ずマリンを救い出し、大神殿で事実を掴み、正式な神官戦士の証を受けて…
そして、この村にマリンと共に戻ってきます」
「あ…ありがとう!」

 診療所の中に夕陽が差し込み、三人の顔が真っ赤に染まりはじめる。

 それはまるで、ルイとケンバートの困難な旅の始まりを思わせるようであった。


第一章 完


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