■ 『 第二章 第一話 』 文/水天宮拓仄

 夜、カシム王国・クルタ村の神殿から二つの影が静かに旅立った。
 神殿の主であるザナン司祭と神官長を務めるシンがそれを見送る。
「女神よ…彼らをどうかお護りください」
 ザナンが天を仰ぎ略式の祈りをささげると、後ろに控えていたシンもそれに習う。
 二人の困難な旅が少しでも幸運に恵まれることを祈る。


 神殿から旅立ったのは、神官戦士のケンバートと記憶を失ったエルフのルイ。
 ルイは長い薄茶色のローブを身に纏い、マントを頭からすっぽりと被ることでエルフの証たる鋭い耳を覆い隠した。
 そして、際立った美しい顔立ちも布を巻きつけて目と鼻だけを覗かせている。
 ルイと旅を共にするケンバートは神官服に皮の胸当てを装備し、
背には武器となる棒の両端を紐で固定すると標準的な神官戦士の装いだ。
 あとは、旅に必要となる物を袋に詰め肩から下げた。
 二人分の道具とは言え、ザナンからの餞別として路銀と食料が少し入っているだけだ。

 
 クルタの村中を抜け、今二人はこの国唯一の港がある王都・カルトに向かって街道を歩いていた。
 神殿を出てからすでに数日が経過している。
 二人以外に旅人の姿は見えない。
「……」
 重苦しい沈黙が二人を包みこみ、ついさっきまで道を照らし出していた月にも雲がかげりはじめていた。
「雲が出てきましたね」
 ルイがついと独り言を発したが、ケンバートはチラリとルイの方を見るだけで無言のまま歩を進める。
 ケンバートはルイのことを今も信用できない存在だと思っていた。
 封印の洞窟から出てきたエルフがただのエルフとは思えない。
 大陸全土に伝わる“伝説のエルフ”かもしれないという恐怖感を常に感じていた。
 記憶が無いと言っても、記憶を取り戻したら再び大陸に害を及ぼすかもしれないのだ。
「……おい」
 ずっと無言だったケンバートが神殿を出てから初めて呼びかける。
 しかし、その声はとても低く警戒心の強い声だ。
「はい?」
 声をかけてくれたことが嬉しくて、ルイは笑顔でケンバートを振り返り返事を返す。
 その様子からルイは人の感情の動きを捉えることに関してはあまり敏感な方ではないようだった。
「お前は精霊と話せると言ったな?」
「はい、話せます…ほら、今もここに」
 だいぶ精霊の存在にも慣れたのか、マントと布の合間から覗く瞳は穏やかだ。
 目の前をふわふわと漂う精霊を指さすが、当然ながらその姿をケンバートは確認することができない。
「その精霊にもう一度マリンの近くに行ってもらうことはできないのか?無事なのかどうかを確認したい」
 見えない精霊ではあったが、ルイの指先を見つめることで自分の意志も精霊に伝えることができないものか。
「あの…無理みたいです。マリンの居場所がわからないと言っています」
「そうか…精霊と言っても万能というわけではない・・ということだな」
「どうやらそのようですね。ごめんなさい…」
 申し訳なさそうに頭を下げるルイにケンバートはやっと表情を和らげることができた。
「お前が謝ることじゃないさ、気にすることはない」
 今まで張り詰めていた雰囲気が和らぎ、ケンバートは今のルイに危険はないと確信する。
 確信するというよりも信じることにしたのだ。
 これから旅を共にする仲間を信用できなければ、少なくともルイは自分を仲間として信頼している。
「あの、ケンバート」
「なんだ?」
 先ほどまでの緊張感がなくなったにも関わらず、ケンバートのルイに対する言葉は相変わらずだった。
 しかし、これこそがケンバートの本来の人格・性格。
 神殿を出て、自分を慕う村人から解放されたケンバートは本来の自分を取り戻しつつあった。
 そして、それが仲間としての証でもある。
 しかし、ルイはそれに気づくことができない。
「マリンはきっと無事です…なぜか僕は確信しています」
「ああ…そうだな。そうあって欲しい」
 神官戦士のケンバートは普段はあまり神というものを信仰したりはせず、現実を見つめて生きてきていた。
(マリン…どうか無事で…俺が必ず助けてやる)
 天を仰ぎ、初めて神にケンバートは祈った。
「…あっ」
 天を見上げていたケンバートを見つめていたルイが小さく声を上げた。
 声がした方へ振り向くとルイも天を見上げ、何事かをささやくような仕草をする。
「ルイ?」
 どこか神秘的な空気に戸惑いながらケンバートは静かに連れの名前を呼んだ。
「精霊がケンバートの願いを聞いてくれるそうです」
「さっきは無理だと言ったのだろう?」
「ええ…ですがあなたの強い祈りを精霊が受け止めてくれたのです」
 にっこりと笑う様が目元を見ているだけでも伝わってくる。
 マントと顔を隠す布が無ければ、さぞ美しい造形になったことだろう。
「どういうことだ?」
「今、僕の傍に居る精霊は風の精霊のようです。今、空気に乗ってマリンの風を感じたと僕に教えてくれました」
 口を覆っている布をぐいっと下に下げ、ルイは明るい表情を向ける。
 ルイの美しい微笑みに感応するかのように、二人の頭上高く浮かぶ月の雲も晴れ、カルトへ続く街道を再び照らし出していた。





―カシム王国・王都カルト近くの街道―
 ルイとケンバートが自分を救うために神殿を出たことを知らないマリンは、
カルトにほど近い街道を外れた林の中で途方に暮れていた。
 林の中には月明かりがわずかに差し込むだけで、あたりは闇に包まれている。
「ケンバート様…」
 自然に瞳から涙が溢れて頬をぬらしている。
 マリンの目の前にはシンに金で雇われた二人組みの男が嫌な笑いを浮かべ、美しい神官を見つめている。
 カルトには夜、通行許可証がないと入れない規則があるのだ。
 彼らは夜が明けるのを街道を外れた林に入り、火を熾して野営をしていた。
「いつまで泣いてるんだ。俺達はお前に害を与えないと言っただろう?
それにデンマー王国のお貴族様のお屋敷に行けるんだ。しがない神官なんかより、ずっと幸せになれるんだぜ?」
「おうよ、むしろ感謝してもらいてぇぐらいだ」
 二人組みのリーダー格のひょろりとした体型の男が懐から薄汚れた布を取り出すとマリンに投げつけた。
「ちょっと汚いが、それで涙でも鼻水でもふけよ。美人が台無しだ」
 意外な優しさを目の当たりにしたマリンは自然に涙が止まり、気持ちもだいぶ落ち着く。
「…あ、ありがとうございます」
 布を受け取ると頬に伝った涙をそっとふき取り、丁寧に布をたたむとリーダー格の男に手を伸ばした。
 そっと手が触れるとマリンは驚いたようにすばやく手を自分に引き戻す。
 男に手渡すはずだった布はヒラヒラと地面に落ちていく。
 落ちていく布を見つめるマリンの目が再び濡れる。
 その不安定な様が自分のようだと感じ、これからの自分の行く末を思うと再び涙がこぼれた。


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